本末転倒



なんだかサーバの移転で時間をとられてしまった。今日も家事や雑用でばたばた。まぁ憂き世の定めではある。

さて、ちくま新書の執筆なのだが、遅くとも今月中には脱稿する予定である。予定より遅れたのは、5月初めの打ち合わせで1章増やすことにしたからだ。いま書いているのはその章である。

執筆開始からは、すでに1年半たっている。執筆に専念していたのではないとはいえ、あまりの遅さに自分ながら呆れる。

怠けていたから遅いのなら当然なのだが、残念ながら(?)そうでもない。新書原稿にはかなりの時間をかけていた。

ただ、その時間の使い方が本当にそれでよかったのかというのは、いまも疑問に思っている。もっと早く書くことは難しくなかった。わかりやすく丁寧に書くだけでいいのならば。

新書を書くことと、論文を書くことの間には大きな隔たりがある。論文を書くことは、無から有を生み出す作業だ。世界に未だ存在しなかったものを存在させることができて初めて論文と言える。

今回の新書でもその要素は若干はあったのだが、世界にとってはともかく、自分にとっては「存在しなかったもの」を生み出すことに時間は使わなかった。今回書いたことはすべて、自分がすでに知っていたか以前に自分で創り出したものだった。

自分ですでに分かっていることを、多くのひとに分かりやすく書くことは、それほど難しいことではない。それだけでよければ、1年以内、いやたぶん半年以内に書き上げることは十分に可能だったろう。

わたしが、時間をかけていたのは「面白く見せる」ための工夫だった。

これは簡単ではない。時間をかけても、結局イマイチということを重ねてきたように思う。本末転倒じゃないか。ほんとうに大事なのは新しいアイディアを創り出すことじゃないのか。それができれば、あとはほとんどの人間に理解できるように分かりやすく説明すればそれで十分じゃないのか。

そうかもしれない、という思いはいまもなお強い。「面白く見せる」なんて、むしろ有害じゃないのか。見せ方でごまかしているんじゃないのか。

それでも今は、面白く見せるために工夫を凝らすことにした。おかげでずいぶんと時間がかかったし、そのわりには大して進歩しなかったのだけれど。

分かりやすいが、退屈。でも、辛抱強くじっくりよめば誰にでも分かる。

それではたぶんダメなんじゃないか。読む気を起こさせ、考えることを促す。そこまでやらないといけないんじゃないか。"自分が分かっているだけでは独りよがりで、人に分かりやすく伝えなければならない"、それだけではまだ不十分じゃないのか。

自分が伝えたいと思うことを本当に重要だと思うのなら、分かりやすいだけじゃなく、読む気が起こるように面白く書かなきゃいけないんじゃないのか。

でも、時間は有限だ。面白く書くことに時間を使うのが有益だとしても、新しいものを創り出すことに時間を使うほうがもっと重要ではないのか。

答えはまだ出ない。






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