第九の謎


ベートーヴェンの交響曲第九番ニ短調「合唱付き」は長年わたしにとって謎であり続けている。ことに今は新書の原稿を書いているので、どうしても疑問が浮かんでくる。

なぜ、第四楽章はこうでなければならなかったのだろう。

第四楽章がそれまでの三楽章と全く違うこと、あえて意地悪いことばで言えば、通俗的で品がないことは、従来から指摘されていたことだ。

このことを、第四楽章がもともと別の曲として構想されていたこと、また当時交響曲の作曲を急がなければならなかった事情があったことから説明するのは簡単だ。だが、わたしはどうしてもそんな説明では納得できないのだ。

第四楽章の最初の部分で、ベートーヴェンは、それまでの楽章の主題を否定してみせる。そして、バリトン独唱が"Oh Freunde nicht diese Toene(おお友よ、こんな音じゃなく)"と、歓喜の調べを歌い出す。

これがあまりの暴挙に思えて、第三楽章までで聴くのを止めていた時期があった。とくに第3楽章の第2主題はわたしが知る限りもっとも美しい旋律なので、どうしても否定することが許せなかった。

「歓喜の調べ(喜びの歌)」は、ベートーヴェン自らが作曲したのではなく、当時の通俗曲から採ったのだそうだ。

 −−ベートーヴェンは、敢えて通人の高踏を避けて、人びとの連帯を選んだのだ。

これも分かりやすい図式だ。間違いではないかもしれない。ドイツ統一の記念式典で演奏された第九はまさしく感動的だった。でも、たぶんそれだけではない。

ベートーヴェンが第四楽章を書くことで目指していたもの・成し遂げたことはなんだったのだろう。わたしには、いまそれがおぼろげながら感じられるような気がする。

たぶん、それこそ、今わたしが新書で目指しているものなのだ*。

* まったく自分の非力さと無謀を痛感せざるをえない。