見本刷り届く




新書の見本刷りが届いた。
見本とは言っても、店頭で売られるものと全く同じらしい。

なぜだか、あんまり嬉しくない。きっと嬉しいだろうと思っていたのだが。

十分に書き込めなかった、という思いが残るは仕方がないところなのだが、それにしても、喜びがこみ上げてこない。

今回の新書は、意識的に明るく軽いトーンで書いた。嘘はついていないが、なんとなくいい人ぶってしまったような罪悪感がある。

新書の「黒版」を作ろうか、とふと思った。ボツになった章を加え、書けなかった部分を書き足し、そしてもっとブラックでヘビーなトーンで。

そしてそれを電子出版する‥‥、いや、全面的に書き換えるのはあまり現実的ではない。手間がかかりすぎる。

とはいえ、何らかのかたちで新書の解説をするのは悪くないかもしれない。




●追記

明るく軽いトーンで書いたのは、読んだ後に重苦しい気分になるのを避けたかったからだ。特に、南北問題のような、どうしても辛い気分にならざるをえないような問題を取り上げた後は、希望があることを強調したくなってしまう。

深刻な事態に、諦めることなくねばり強く、一度に多くを望まず、少しづつでも前に進めればいい。そのために、暗い気分にならないようにしたい。

そう思うことはたぶん間違っていないのだが、そのために一面的な書き方になってしまわなかっただろうか。

真実は立体である。そして、人は一度に一方向からしか見ることができない。ビーナスの彫像を右から見たときと、左から見たときと、正面から見たときでは、それぞれ印象が違うだろう。そして背後から見る人はあまりいないかもしれない。上から見るのは難しく、下から見るのはほとんど不可能だ。

どの位置から見たビーナスが真実の姿というのではない。重要なのは、ビーナス像の本当の姿を知ろうとするなら、いろいろな角度から眺めてみることが必要だということだろう。−−そして、すべての角度から見ることはできない。

書き方の違いも、真実の別の面を映し出しているにすぎない。重要なのは、どれが真実かではなく、どれも真実の一面であることを知ることなのだろうと思う。



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