Q&Aの「法哲学と他の人文社会学とはどうちがうか」の中で、「倫理学との大きな違いは、法哲学は問題をシステム的に把握し処理するテクノロジーをもっているということです」とあります。それでは、倫理学はなぜテクノロジーがなくてよいのでしょうか?また、なぜ法哲学はテクノロジーを持っている(あるいは持たねばならない)のでしょうか?



倫理学がテクノロジーを持たなくてもよい理由は、倫理学の個人志向性にあるとわたしは考えています。もちろん、倫理学ぜんぶを一括りにするのはいささか乱暴な話です。より正確には、個人志向的であるほどテクノロジーの必要性が薄く、社会志向性が高いほどテクノロジーの必要性が高いと言っていいでしょう。

違いを誇張していうなら、倫理学の目的は個人規範の獲得であり、法哲学の目的は社会規範の獲得である、ということになります。つまり、倫理学は、人がひとりの人間としてどう振る舞うのが正しいか、を問題にするのに対し、法哲学は、社会的にいかなるルールを設定するべきかを問題にする、ということです。

そして、「テクノロジー」という言葉にわたしは満足していません。他に適当な言葉がないから使っています。法哲学は、技術(Art)としての側面も強く持っています。しかし、技術(ワザ)の"個人技"的側面が主であると受け取られると困るので、"テクノロジー"のほうを選んでいるだけなのです。

法哲学が「テクノロジー」としての側面を必然的に持っているは、法という、テクノロジーの産物を扱うからです。

このあたりは、抽象的にいっても分かりにくいでしょうね。こんどの著書で、余裕があれば具体的に書いてみたいと思っています。実は、法哲学の知的探求としての特質についてすでにちょっと書いたのですが、編集者の方から"面白いが、やや学術的すぎる"と言われたので、出版されるとき消えているかもしれません。

そして、この時ですら、法哲学と倫理学の違いは問題にしませんでした。対比したのは、自然科学です。"科学があれば正義はいらないか"ってな感じで。ほとんどの人にとっては、法哲学と倫理学との違いを明らかにする意味はないと思います。わたし自身、違うとは思いますが、ことさら違いを言い立てることに興味はありません。

「倫理学」というレッテルを貼るのも、「法哲学」というレッテルを貼るのも、お好きにどうぞ、と思います。「倫理学」一般も「法哲学」一般も、問題にする意味をわたしは感じません。大事なのは、書かれていることに価値があるかでしょう。わたしは、自分の書いたものがどちらに分類されるかはどうでもいいと思っています。



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