Q&Aで触れられているAct1冒頭のエピソードを読むとなぜホッとするのでしょう?



これは、普通言う質問ではないと思いますが、あえてコメントします。「正しさ」を考える上で重要なポイントが関わっているからです。

わたしの論考は、「正しさ」を扱います。書いていてよく感じるのは、「正しさ」は時に人をむち打つということです。正しくしていることができない人を傷つけることも、正しくあろうとする人を無理に駆り立てることもあります。

この問題を「情と理の対立」というふうに表現するとずいぶんありきたりです。

わたしは、かつて情と理は無関係だと思っていました。子どもが死んだらかわいそうだ、という情の問題と、青酸カリを1グラム飲ませれば子どもは死ぬ、という理の問題とはまったく関係なく判断すべきものだと思っていたのです。「かわいそうだから、青酸カリを1トン飲んでも死なないことにしようよ」というわけにはいきません。

しかし、現実の社会問題を考える上では、情の要素を無視して理を通すだけでは不十分だと考えるようになりました。ただし、情で理を曲げるというのとは違います。それでは正しい結論が出せません。どんなにかわいそうでも、致死量の毒物を飲んだ人間は死ぬのです。

いま考えているのは、問題を提示する仕方を工夫をすることです。情に訴えることはワタシの趣味ではありませんが、情を夾雑物として排除し、純粋に理の部分だけを提示することは、かえって読者を誤解させてしまうことに気づきました。読者が研究者である場合にすらそうだというのは、実はけっこう意外なことだったのですが。

理想は「非情な正義」と「やわらかな人間らしさ」の一歩も譲らない調和を実現できることでしょうね。



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