法哲学黙示録


●セッション----ハーモニーは専制する

俺は、小汚い格好で、無精ひげを生やして、肩を落として、なぜだか目は輝かせながら街を歩いていた。存在感のない人影が笑いながら俺の傍らを通り過ぎていく。

俺にギターを押しつけてくるやつがいた。なんだってんだ。俺はもうギターを最後に手にしてから何年も経つってのに。

突然、あたりは不協和音で満たされた。いつの間にか、俺の周りにはたくさんの奴らがいて、思い思いに楽器を歌わせていた。

あれ、あいつはトランペッターのMじゃないか。あいつ、もう死んでるんじゃなかったか。他にもなんだか顔を知っているやつがいる。ほとんどはジャズだ。でも、どうして。俺はジャズはほとんど聴かないのに。

演奏を通して、俺は奴らのことがよく分かった。みんなろくでなしだ。自分をスゴイと思っていて、他人を見下してて、ろくでもないことばかり考えている。気にくわないのを殺そうと思ってる奴。レイプの機会をうかがってる奴。手当たり次第、自分も他人も傷つけてしまう奴。ただ、どいつもこいつも自分の演奏にはプライドを持ってた。そいつがまた事態を悪くしてた。

そして、奇跡が起こった。掛け値なしの奇跡だ。ハーモニーが生まれたんだ。思い思いの自分勝手な演奏の中で。

そのとき。俺の手が動き出した。俺はギターを弾いた。俺にできるはずもない正確さで。俺に出せるはずがない美しい音色で。

誰も逆らえなかった。周りにいるクズどもは、音楽に対してだけは敬虔だった。誰にも従わない奴らも、このハーモニーに抗うことはできなかった。

俺のメロディーがすべてを支配した。俺の? 分からない。俺は何かを決めていたか? 全力疾走する巨獣にどれだけ選択の余地がある?冷徹な必然性の中で、俺たちは、ある限りの力をもっとも美しいかたちで解放し続けた。姿を変える巨獣は大地を駆けた。大地をたたく蹄のビートが背骨を貫いたが、それはどうでもよかった。姿を変える巨獣は深海にダイブした。青黒い闇の中で無数の泡が鱗に沿って幾何模様を描いたが、それはどうでもよかった。姿を変える巨獣は天空に羽ばたいた。真昼に星々がきらめく高みで、吐く息はたちまち結晶と輝いて舞い落ちていったが、それはどうでもよかった。

俺たちはただ全力で自分のしたいことをしていた。俺たちは巨獣のなくてはならない一部だった。それぞれ全然違う自分の出したい音色を奏でることがその肉体の躍動だった。全速で時空を突き抜ける巨獣に目的地はなかった。どこへでも行けたが、どこへも行かなくてよかった。俺たちは楽しんでいた。陶酔じゃない。感覚はどこまでも研ぎ澄まされていた。俺たちはできる限り自分らしくしていることがハーモニーを響かせることであることに驚いて、そのことに全神経を集中していた。そして、はっきりと分かった。俺たちが一番自分らしくなれるのはどこでなのか。この巨獣が誤って何と呼ばれてきたか。

終わりは唐突だった。来たときと同じくらい突然に、それは去っていった。一瞬の真空状態。そして奴らに囲まれて俺はもみくちゃにされた。叫ぶ奴。泣く奴。地団駄踏む奴。俺をどやしつける奴。

なぜ始まったのか、なぜ終わったのか。

俺には分からない。

でも、俺たちは最高だった。俺たちは最高だったんだ。

気がつくと俺は一人だった。そうか、肉体を持っていたのは俺だけだったのか。でもあいつら、いったい何をしに来たんだ? よりによって、どうして俺のところに来たんだ。

そして俺は、「報い」を手にしたことを知った。俺は報われたかったのか? そんなつもりはないはずだったのに。

地上にて天国を目にしたる者は。




法哲学の目的は、このセッションのように各人がそれぞれ自分のしたいことをすることによって秩序が作られるようにすることである。理論自体が秩序を作り出すのではなく、秩序が作られやすい条件を整え、いったん作られてからはその調和自体の心地よさによって調和が維持されることが期待されている。もっとも、それはあくまで理想であり、おそらくは、セッションを分割することによって部分的な秩序を動的に形成していくことができればよしとしなければならないだろう。最低限として期待されるのは、ひどい不協和音は、それ自体の不愉快さによって抑制されるということだ。

この巨獣は彼にとって麒麟*1だったのかもしれない。とすれば、これはまさに獲麟*2の夢である。獲麟は鶴林*3に通じる。この夢が見られたのが、古代の成道会*4の二一日前にほど近い日だったことはいささか運命的であった。なお、sessionからiを抜けば世尊*5になる。

*1 中国で聖人の出る前に現れると称する想像上の動物。形は鹿に似て大きく、尾は牛に、蹄は馬に似、背毛は五彩で毛は黄色。頭上に肉に包まれた角がある。生草を踏まず生物を 食わないという。一角獣。

*2 (孔子が「春秋」を著し、「西狩獲麟」の句を以て筆を絶って死んだことに基づく。麟は麒麟)(1)絶筆。物事の終末。(2)誤用されて、孔子の死をいい、更に転じて、臨終、または臨終の辞世の意となった。

*3 (釈尊の入滅を悲しみ、沙羅双樹サラソウジユが鶴の羽のように白く変って枯死したという伝説に基づく) 沙羅双樹林の異称。転じて、釈尊の死、すなわち仏涅槃(ブツネハン)。

*4 (じょうどうえ)一二月八日(わが国古代には三月一五日)、釈尊成道の日として行う法会。臘八会(ロウハチエ)。

*5 (梵語 Bhagavat  福徳ある者、聖なる者の意) 仏の尊称。特に、釈迦牟尼の尊称。仏十号の一。

以上すべて広辞苑第四版電子ブック版による。なお、本稿は「愛でなく」に収録されていたものである。





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